現在豚人工授精の第一人者として全国、海外にも指導。
(社)全国養豚協会「養豚現地実態調査報告書」
養豚界「AIマニュアル・AIの達人」他多数。
原 康(くわはら やすし)は養豚農家の3代目として生まれ、1975年大学卒業後、獣医師となり、家業を継ぎながら家畜診療所を開設、育種及び人工授精を一体化した仕事に従事していた。
1977年。初めてオランダとデンマークに種豚の購買に出かけ、検定所や家畜人工授精所が国や地域の育種事業の中枢になっている西欧と日本の圧倒的な差に大きなショックを受ける事になる。海外では人工授精が当たり前で養豚の技術も日本とは段違いに進んでいたのだった。
本の養豚技術の遅れに危機感を感じた桑原は、『日本人の味覚にあった、世界に伍して戦える豚をつくろう』と思い立ち、人工授精をいち早く導入し品種交配の研究に取り組み始めた。今から30年程前の話である。
当時、種豚の流通規制のために、多くの種豚農場は種豚を減らしたが、桑原は逆にアメリカ、オランダ、デンマーク、世界中から良い種豚を輸入し続けた。
良い豚の噂を聞けば、世界中のどんな田舎の養豚農家のところでも出向き、直接自分の目で“見て”納得した豚を買い付けた。
ただし、納得した10頭を輸入しても相対的に肉質の良くない9頭は淘汰した。いい子、いい孫はたった1割しかいなかったからだ。
生まれてくる後代を検定し、決して妥協しない終わることのない選抜を愚直に繰り返し続けた。
い豚かどうかの判断を、自分の主観で判断する事を避けるため、桑原は市場はもちろん、小売りの肉屋まで肉を追跡して、直接見て、出荷した豚肉の評判を聞き続けた。いつのまにか、出荷先との信頼関係が生まれ独自で築いた地域のネットワークができあがっていった。
「今日の豚は良かったよ。」と肉屋から電話が入る。すぐに、どの農場のどの豚かを調べ、残すべき品種かどうかを判断する。普通の養豚農家では、豚を送ったらそこで終わりが当たり前である。
にが、この男をここまで駆り立てているのか?誰にも分からなかった。“情熱”という言葉すら安っぽくなってしまうほど、自分の時間を全て注ぎ込み桑原は豚の育種改良にのめり込んでいた
そして、桑原の地道な積み上げが圧倒的な結果を生む事になる。
桑原は、現在人口受精と育種改良の世界的権威になっている。
しかし、桑原は進む事を止めていない。豚の育種だけでなく、人口受精センターとして優秀な種豚と精液を全国の養豚場に供給し、世界中で使われる事になる希釈剤(豚の精液を保存する液)「マルベリー」の開発、優れた宅配システムの開発、アジア最大の凍結精液保管器の設置など、企業という枠を超えて、
未来の日本の養豚と食文化のために走り続けている。
桑原の挑戦はまだまだ終わりそうもない・・・。
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